超訳【碧巌録】
「方便」のチカラについて
2007.5.22
ブッダはかつて「真理」を悟ったとき、もうこのまま何もせずに餓死しようとしました。
本来「天上天下唯我独尊(この世でオレ様だけがエライんだ)」であるので、今、自分が最高境地に達した以上、ほかに何もする必要はないと考えたからです。
百歩譲って、「他人を救う」などとガラにもないことを企てたところで、「究極の真理」はとても言葉では説明不可能であるので、結局は何もできないということもあります。
しかし色々あって、結局ブッダはしぶしぶ禅定の境地から立ち上がり、アホウどもの相手をすることになったのでした。
ところが、「究極の真理」は極めて単純至極なものであるにもかかわらず、アホウ相手にはちょっと刺激がキツ過ぎるものであったため、ブッダは大いに悩むことになりました。
「そのものズバリ」を伝えるのが一番簡単だし、結局のところは相手にとっても親切であるのは間違いないのですが、今の段階でそれを実行したら、この世は「死者」で満ち溢れることになることが明白だったからです。
そこで、本当に仕方なく、ブッダは「次善の策」として口を開き、相手に合わせて心にもないことをクダクダと話すハメになったのです。
これを「方便」といいます。
はるかシルクロードの砂漠を行く隊商があったとしましょう。
歩いても歩いても見渡す限り砂ばかり。
太陽は容赦なく照りつけ、根性のない隊員たちはもうくじけ放題です。
すると隊長が前方を指さしてこう叫びます。
「見ろ!オアシス都市だ!!」
見ると陽炎の彼方に確かに巨大な城がそびえているではありませんか。
がぜん、気合の入る隊員たち。
「よっしゃー!行くでーっ!!」
・・・冷静なあなたなら、もうとっくにわかっているハズです。
そんな城などさっきまでなかったということを。
つまりこれは隊員のカラ元気をかき立てるために、隊長が催眠術を駆使して見せている「まぼろし」に過ぎないのだということを。
でも、ほかに暑さと疲労でヘバリきった隊員たちに活を入れる方法があるでしょうか?
いかに道のりが遠いからといって、この場で座り込んでいたのでは死を待つばかりです。
「とにかく歩を進める」という大目的の前では、「ありもしない城の幻影を見せる」などという大ウソをぶっこくことは余裕で正当化されるのです。
これを「方便」といいます。
この話は、そのまんま「法華経」に書かれています。
いいですか皆さん、全ては「方便」なのです。
「ウソじゃないか!」とか言ったところで何も始まりません。
そこらへん、よーく考えてみてくださいませ。

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